「障害」と社会環境

「発達障害」をもつ子どもたちの成長過程での環境について考えた時に、現代の日本社会における一般的な規定にあてはめる事は、本人たちにとって、場合によっては、過酷な環境であるのかもしれないと思いを巡らせる事があります。発達障害向けの講座を開講するにあたってこうした不安にも応えてくれるところもあるようです。

最近は、多様なメディアの中でも「発達障害」の存在が、取り上げられるようになりつつあり、その言葉や存在については多くの人々の周知とされるところかもしれませんが、現実的に「発達障害」をクローズアップしていく中で、現場の人々が声をあげている事柄は、子どもたちの「発達障害」を、本人のキャラクターや個性、アイデンティティとして受け入れ、本人たちの苦手分野となる事柄は、そのままでも良いのではないのか、というような考えがあります。「発達障害をもつ子どもたちに、社会生活の中で、苦手な事柄や、全く対応できないような事柄があっても、その他の事に目を向け、本人の得意な分野で、苦手な事柄をフォローできるのであれば、全ては良しと出来るのではないか、というような声が聞こえてくるのです。実際に、人々のもつ「発達障害」向かい合ってみると、社会的な環境では、おかしな行動と捉われがちではあるのですが、本人たちの行動を、また別の角度から観察していくと、とても優れた能力を発揮できる分野などをみつける事ができるのです。私達は誰においても、全てをうまくこなす事は不可能に近い事になってしまいます。ですが、現在の教育機関などにおいては、多くの多様な事柄について、ある一定の水準を目指すような教育が行われがちになっています。その中で、「発達障害」をもつ子どもたちは、「できない子」「手がかかる子」「わがままな子」などといった、偏見を受ける事で、場合によっては、心に傷を負い、そのような周囲からの勝手なレッテルが、彼らにとって日々の生活を送る上での負担となってしまう事もあるのです。私たちは、人として社会で活動する多くの人の存在に目を向けた時に、「障害」をもつ人々に対し、どのくらいの理解をもっているのでしょうか?目に見える「障害」だけではなく、目に見えにくい「障害」の存在にも気づける視野を、多くの子どもたちや、周囲を見守る大人たちに養ってもらえるような社会環境の発展が望ましいと考えています。